盲腸の静かな夕べ

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2024-3-30

えーまじで疲れた。
↑これが昨日の日記の書き初めで、今日も、まじ、疲れている。歩きすぎる。今回の学びは梅田でコインロッカーを探すな、ということ。
日程的には木金が仕事で今日は延泊して遊んでいた。
初日に大ポカをやったがその夜に、「魔女の子供はやってこない」を読んで自分の感情をごまかす。最初わりとタラタラ読んでいたが、ビルマ君編からかなり波長が合ってきて最後まで駆け抜けた。

タクシー運転手がしていた、大阪の、どこだったか忘れたが、24時から開店する天ぷらやがあって、そこで出るあさりの味噌汁の殻を客が足元に投げるから店が殻だらけだって話、そんな夢見たいな話、マジなんだろうか。

腸の調子があまりよくなく、あまり食べずに過ごしている。せっかく旅先なのにアイス・ソフトクリームが食べられないのは悲しい。

昨日、仕事ふつかめ終わり、knowerのライブへ。後ろのほうでみていたから姿ほとんど見えなかったけど、奇跡のようなタイミングでライブにこれただけありがたい。待ち時間、暇なので中原昌也のフェイスブックの生存記録を読む。固有名詞がたくさん出てくる。「延々と続くと思われる歴史の中の自分のように、冒頭も終わりも目にすることなく、その一部分しか読むことのできない小説がいい」。OPAが馬場バンドだった。ルイス、かなり馬場さん好きなのかな。knowerのcrash the carでも馬場フィーチャーだったし。しかしcrash the carは良い曲。はじまった瞬間にデヴィットビニーのサックスソロ入り待ち(昨日は馬場さんだけど)みたいな感じに構えてしまう。満足。からだ爆散曲みたいなのが基本的に好きだからknowerにはとにかくはやいビートでやってもらって構わないんだけどcrashだけはすごい響く。アンコールはやっぱりover timeだよね!で、大阪のライブハウスって東京とだいぶノリ違うんだなーと思った。
からだ爆散曲、というか、もうわからないレベルにからだが細切れになった、という感覚が良いんだけど、ある種M的な感覚なのかもしれない。これと対照的なものとして、8、9年前?くらいにみたウォルタースミス3世のライブを思い出す。わからない(ひとつの)生き物っぽかったという感覚だけ強烈にあり、それが別にいいとも思わなかったというか、単純に意味わからんなと思いながらきいていた。すごさもわからん。そのすごさがわかった方がいいような気がするが、そうでなくやっぱりknowerというかルイスっぽい方が肌にあうのか。音楽どうこうでなく、音楽でちぎれ消えたいというような欲望については少し幼いかもしれないと思う(でもこればかりは)。死の近さを実感しはじめたらきかなくなる可能性がある。完全なエレクトロニカでも同じようになるかはちょっとわからない。生音(+シンセ)だからこそ人の手による破壊でいいんじゃないという気配。
昨日夜中うっすら考えていたことでは、私はからだ消す派なんだなと再確認した上で、柴崎友香がなんか書いてたなーと思って、で、今、これを書くさなかにざーーっと読み返してみたら(「私と私の身体のだいたい50年」)、からだが、なくなってほしい、と思っていた(そしてその感覚は続いてないわけではない)というように柴崎さんは書いていて、それに対しては私はなくなってく過程の楽しさみたいなものを音楽に感じていて、最後に柴崎さんが老いに対して感じている親しみとそれは共通項があるかもしれないとかなんとなく。
そういえば昨日朝テレビつけたらエルフ荒川とUAが一緒にケーキ食べていて、なんじゃこれと思った。AJICOの新しいEPでるらしい。

前にも泊まったことのあるこぎれいなカプセルホテルに行った。覚えておきたいのは、このホテル、生暖かくて気持ち悪い。他の設備は好き。疲れていたはずなのに3時くらいに目が覚めて、「死者を弔うということ」を15分くらい読む。やっぱり生暖かくて気持ち悪い。
今日の朝は万博公園に行って目当てのみんぱくへ。内容充実していて情報過多。楽しかった。「死者〜」にものっていたシーア派の葬送儀礼についてのパネルや、本に出てきた涙壺(だっけ)の実物展示などがあって、おお、これか、と思う。人肉食用のフォークがあったので写真を撮って友達に送る。仮面の展示はかなり水木しげる。

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