盲腸の静かな夕べ

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2026-3-12

週末に円盤に乗る派を見に行くので、作品の原案であるトリスタンとイゾルデの内容を調べていた。それから円盤が公開しているカゲヤマ気象台さんのエッセイを読んだ(これ)。とても個人的な内容を含んでいて、それなりに驚きがあった。というのも、私自身……これは自己診断で、正確ではないかもしれないが、パニック障害的な症状が体に発現したことが度々あり(一番最悪だったのは全身麻酔後の動けない状態で息ができなくなったこと)、演劇を見に行く機会が激減していた過去があるからだ。彼が書く内容、特に劇場選びについてとても共感した。最近は私の中で許せる範囲を広げてはいるが、スズナリとか駅前とか、息がつまりそうなところははじめから行かないと決めている。それで、舞台という文化が私のなかで遠のいたな、と、寂しいでもなく受け止めていた。だから彼のような劇作家自身がそうであるということにとても驚いた。
彼の言う昨今の演劇活動における移動の重要性と(持っている障害によって)移動できないこと。トリスタンとイゾルデ解説noteで一番上に出てきたものが、「トリスタンを殺したくても殺せないイゾルデと、死にたくても死ねない運命にあるトリスタンが、共にめでたく死ねる話」と記しており、なんとなくやりたいけどやれないなみたいなことで通ずるものがあるのかなと思いつつ、トリスタン〜については理解が浅浅なので保留。
ローカルでありながら、ローカルに縛られない活動。ここにおけるローカルは最近「シットとシッポ」で語られていた「疎」、という考え方にも近いかもしれないとぼんやり思う。
最近の私のSNSの使い方。そもそも私にはXのアカウントが2つあり(学生〜会社勤め以降のつながりがある方と、最初はただ怪談をつぶやこうとしてはじめた鈴木のアカウント)、だが学生時代の友人などはあまりもうxには残っておらず、それにおすすめ欄を見ては明確に傷ついていっていたので、なんかもういいかな、というのと、ふたつに分かれているのがよくわからなくなってきたので、今はブルスカの方にわりといる。ブルスカで日常つぶやきが多いのはそういう経緯で、ふたつのものが統合された結果である(ちなみにミクシー2のアカウントもあるけどそれはそれで用途がわかれている)。
なんとなく話題になっているものを目にすると、つぶやかずに友人とLINEで話している。マンガワンの問題は多くの人が語っていたのが良かった(そうでないと明るみにならなかった)。しかし私はオフで、ローカルで話してしまっていた。サイモン逮捕の話も。
ポッドキャストの流行りや、ディスコードによる村化なども大きく言えばその一端かもしれなくて、だがこうして物事をつなげすぎて考えるのもあまり意味はない。どこが切断しているのか考えないと、どんな(人との会話トピックとしての)話題もぼんやりとしていって、何も言っていないことになる。昨年の夏に石倉さんの小説を読んで、何かが似ていると指摘することにはほとんど意味がないですよねみたいな話をしていたのだが、その時の返答を再び見てみる。「意味を見つけるのは楽しい体験なのですが、過剰になると意味が向こうからやってくる」石倉さんは過剰な意味にどう対抗していくか、ということを考えていると言っていた。
奇奇怪怪で語られていた最近の印象的なエピソードで「先輩が世話になってたからという理由で参政党議員に投票した人がいた」というものがあって、Xを離れて人の少ないブルスカや閉じられたディスコードが今は居心地がよくて、そして隣にいる人との距離感にこそリアリティを感じていても、その素朴さが自然に誰かを追い詰める場合もある。
ひとりの不祥事によって仕事が飛ぶなんてことはざらにあることだろう(実際に何度かあった)。犯罪を犯した人間は仕事内容が大きく変わってしまった私のことを知らない。なんでこのことを今ここに書いたのか、うまく繋がりが見出せないけど、とりあえず書き残しておく。個人と、個人でない自分の影響範囲という話、だとは思うんだけど。
とりあえず円盤の新作が楽しみだ。「「いま・ここ」にしかない文脈を排した」というのが、演劇的でなく、演劇的でいいと思う。自分自身ASD傾向がありそうだなと感じている私は予想外なことが起こる可能性が高い仕事を嫌っているが、カゲヤマさんは生身が舞台に上がる演劇を生業としている。ASDという言葉へのいろんな思い込みと自分に対しての思い込み。どこででも上演されるローカルな舞台。

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