盲腸の静かな夕べ

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2025-12-2

日曜ヌトミック→絶望ラジオ公開収録いく予定だったがあまりに仕事が進んでいなくてヌトミックのみに。永田さんにごめんなさいという気持ち。
ヌトミックいつぶりだかもはや忘れてしまったけど、いまこんな感じになってるんだという素直な驚きがあった。今年観劇ほとんどしていないのに驚異の片桐はいり率である。
モノローグがっつりなのは00年代を引きずった同世代の雰囲気はありつつ、結構印象としては劇団四季は言い過ぎにしても、カムカムミニキーナとか鹿殺しとかの熱量に似たものを感じたり。からだの動きの制御に関してはもう少し振り付けしてもいいのではという気もする(振り付けというか、自由にやるためのなんらかの制御が必要そうな雰囲気)。俳優を信頼しているのだなという雰囲気はあった。モノローグをがっつりやりましょうという気概も感じた。会話もほとんど音楽的に処理される(声をだせば相手に音が届く、という温度感での会話)ので、今の私のマインド的には少し厳しい感じも。
音楽的には興奮はもちろんあって本当にどうやって稽古してるんだこの人ら。越境という言葉はもう古く、音楽で与えられる感動があるならばちゃんと使いましょうというのが、クレバー。体感的に柴幸男の影響をがっつり受けているわけではなさそうなのに、案外その線上にいる人たちのような気もして不思議だ。
一番音楽的に盛り上がったあとに奥から登場してくる片桐はいりが感動的だったので、もっとそこをゆっくり見せてくれ!!という気持ちになった。
字幕がおしゃれ。情報量は多いけど、抑制されすぎたぴりっとしたものも最近苦手な感じがするので、多さにもっと慣れていってもいいのかなと思う。セリフが死者となりト書きが生者としてほとんど機能している逆転構図は、叫ぶように発されるセリフを考えるとすんごい無力感や虚無感がある。
この先にどうやっていけるか。「アンダーグラウンド」の最後の「許す、でも忘れないぞ(だっけ?)」みたいな言葉の先にまだ行けてないんじゃないか。
アンダーグラウンドの最後のセリフを私が印象的に覚えているのは、Aが好きなセリフとして挙げているからで、しかしAもまた人に言われたからそのセリフを印象的に覚えているらしい。

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