盲腸の静かな夕べ

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2024-7-14

昨日は「生きる演技」を読みながらバスに乗っていたら、少し前まで、まわりの乗客の声を聞きながら読んでいたはずなのに、急に集中していたのか、終点をすぎたあとでパスの運転手に「終点ですよ!」と声をかけられ、すぐそばに寄せてもらい下ろしてもらった(すみませんでした)。読んでいたのは屋上のシーンだった。
バストリオ「新しい野良犬/ニューストリートドッグ」を水性でみて、すぐ会場を出たら出演者のTKさんが走ってきて呼び止めてくれた。学生のころより「お前は去り際が良くない」と注意されていた経歴があるので、こういう時本当にスッて帰るのやめようと反省した。心象というより、なんか普通に私失礼なやつだな、と思って……。それでひとことふたこと感想を伝えて、浮かんだ他のポジティブな感想をSとOのライングループ(年1くらいで稼働する)に送ってみた。Sは明日みると言っていた。
今日は朝から運動しに行って、コブラ会のTシャツを着ていたんだが、先生から「かわいいですね〜」と言われて、「え、本当に可愛いですか?」とマジ聞き返ししてしまった。まじめになりすぎてしまうことを考えていたこの一週間にまたまじめな返しをしてしまい、もっと適当にできないのかと思った。
四時からIさんの展示で演劇公演があったので、見る。久々にTTさんに会って嬉しかった。連絡を取らなかったり、SNSをやっていない人が元気そうだと嬉しい。NさんHさんもいた。Nさん、よく東京きててすごい。演劇については見ている間は何も考えていなかったが、あの小さな空間で家(それも2階だて以上)、街、知らない街、そして小さな自分の部屋に戻ってくるダイナミクスの在り方は、Iさんの展示物に近しいものがあると思った。私はIさんがブラックジャックの自己オペの部分に着目しているところになんとなく謎があって好きなのだが(これ前も書いたかも)、マンガのコマ枠を抜き出すと、素朴に、道にみえるなあ、ってんで、そのまま道にしてしまうみたいなあの感じ。
Hさんはバストリオの同じ回を見ていたらしく、感想を伝えあえてよかった。普通に羨ましい感じ、的なところを言葉にしておいた。最近の考え方の傾向もあり、かなり関心が自己へ自己へ向かってしまっているのがなんとなく惨めで、しかもそんなムーブの時に「生きる演技」読んでるから、登場人物の美築に、「傷つき方がダサい」と言われている気分で勝手に傷つく。しかもこうして生の体にしっかり揺さぶられていて恥ずかしい。恥ずかしいといえば会場の水性はプチパニック持ちには優しい劇場だが、演劇をしている人が普通の町と0距離であることで立つフィクション感の妙な恥ずかしさがあり、そんなことに恥ずかしがることにまた少し落ち込む特性がある。「生きる演技」の生崎はバストリオとか絶対出れないだろうなとか考えていたら、作中で舞台に出る流れになっていた!どうなるんだ。
Sから送られてきたジオゲッサーの動画をみる。

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