盲腸の静かな夕べ

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2024-3-9

昨日鳥山明が死んでしまって、ドラゴンボールの好きなシーンの話を人とした。いろいろあるけど私は36巻がすごく好きだ。好きな表紙絵では、序盤の天下一武道会行くところのやつが思い出された。ポストカードみたいな雰囲気のやつ(センターにたしか亀仙人がいてふりむいてる)。
追悼コメントを読んだりして、著名人の訃報ではじめてぼろぼろ泣いた。ドラクエで一番好きな絵は説明書の道具一覧かもしれない。
仕事は帰ってからぶっ続ければ間に合う、という余裕が出てきたので、アピチャッポンの「太陽との対話」へ。あいちでやっていた時、チケット取っていたんだけど仕事で行けなかったのだった。
VR、もうすごく驚くということはないけど、はじまりのワクワク感はまだまだある。映画パート/VRパート(2部構成)の切り替えの境目をとても意識した。
VRゴーグルをつけてVRパートを見ながら回遊している人の中に入って、映画を見る。会場の中央にスクリーンが吊るしてあり、表と裏に映像が映されている。
ゴーグルを装着した人たちが、意識が異界へ行ってもまだ地上にいるゾンビになって歩いていて、こちらの姿を認識していない。こちらも注意して避けるがぶつかりそうな時は係の人が間に入ってくれた。
途中で憑かれたようにゴーグルをした人たちが棒立ちになって一方向を向いていた。
こちらがゴーグルを装着する番になると、先ほどは昼間の映像を見ていた(映画の中の人たちが寝ているる時間から、また寝る時間まで)が、VRゴーグルをつけると、視界が円形に閉じていき、まず暗闇になる(ギャグアニメの最後のコマみたいな、ひとりのキャラにスポットがあてられ、「とほほ…」的な、ボーボボでいうと田楽マンのラスコマ)。
他のゴーグル装着者は光の球として認識できる。やがて、最初に見えていたスクリーンと、それ以外にも、たくさんの人たちの映像(寝姿)が周囲に画面として現れる。宙に浮いた画面に囲まれる。
ゴーグルなしではスクリーンの一画面しか見えなかったのに。これが死後だとして、死ぬとなぜ認識が増えるんだ。ライフストリーム的な考え方ってどこの宗教由来なんだろうと考える、あるいは人類補完計画。あるいは、寝姿に囲まれているため、えっザナルカンド?とか思っていた。(これはあながちズレていないような気もする)
死んだ場合個人の思い出はどうなるんだ、と思うと、映画の中で認知症の話が出ていたのをいま書きながら思い出した。忘れたくないことをメモし始めた人の話。でもゴーグルをつけた先の世界では文字情報特にないし、もはや個人の思い出以外の新鮮な景色でいっぱいだ。
岩や、映画の中で見た光のイメージが降ってきて、洞窟(岩に囲まれた、川石くらいの石が敷き詰められた空間だった)をつくるというのはなんか面白かった。肉体がない、ということを意識する演出かもしれない。岩は体をすり抜ける。
地面から湧き出た太陽がのぼって、てっぺんくらいまできた時に、中央のスクリーンを回り込んで(中央スクリーンは黒い線の枠として認識できる)、向こう側へ行った。ペルーにあるという大きな石像がある。このまま太陽が沈んでいくのかなと思ったら太陽はみっつに分裂し、うち二つは発生した場所に向かって沈んでいった。
もう一つは、反対側に沈むのかと思ってみていたら、その太陽の真下にある石像がやや溶ける?というか、もともと骸骨っぽい造形だったのが、わりと肉感を持っていた気がする(それが溶けたように見えた?)。この辺は見間違いかもしれない。
肉体のない、人型の影があたりを踊るようになる。自分よりだいぶ大きいと感じる。
太陽がどんどんのぼっていって、欠けているかとおもったら天井にめり込んで岩の間をすり抜けていく。それを光の球の私たちが目で追って、やがて地面を離れる。酔う人は酔いそうな空中浮遊。地面は回転し、元いた場所がスクリーンの黒枠ごと斜め遠くにすべって視界から消える。登っていくとときどき蛍光灯のような灯りがある。岩にさっき踊っていたような影が一体、腰掛けている。こういうキュートな仕掛けはゲームっぽい想像力だと思ってしまうが好き。手を振りたくなる。
またスクリーンの輪郭が回転しながら戻ってくる。岩の間の太陽をずっと目で追う。
やがて静止した地面はいつのまにか真っ暗になっていて、太陽は小さな分身をあたりに撒き散らし、そのかけらと、他の、光の球の人々の見分けがつかなくなる。
太陽の中心に現れた黒点が徐々に大きくなって太陽を埋め尽くしていき、その黒いものも分裂して、太陽の光に重なる。全部埋め尽くすのかな、と思ったら、そのまま終わった。for ryuichi と文字が浮かぶ(音楽が坂本龍一)
音楽は聞いたり聞いていなかったりした。

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