盲腸の静かな夕べ

文章を投稿します。

記事カテゴリー ▼

2024-3-1

狂ったように鍋を毎日食べている。仕事のスケジュールがどんどん後ろ倒しになり、明日は友人の結婚式なのだが、締め切りを恐れながらの参加になってしまう。しかも今日と違い寒いらしい。道中防寒に使えるかもしれない毛玉だらけのカーディガンを急いで洗濯した(いつも部屋着の上に羽織ってるから洗濯しないと)。
会社の後輩に赤ん坊が生まれる。
去年出たFIEHのアルバムを繰り返し聞いている。近年一番好きになれているバンドかもしれない。今の所一番キテるのは「Munni in the microwave」で、「just ask me baby just ask me just ask me / don’t you know me by now 〜」のjust ask meのレイドバック感とサビ入ってからの二小節がわけもわからず気持ちいい。もうずっとここ待ちしているという感じ。数年経ってもここ聴きに戻ってきそう。
一昨日100分de名著のローティ回4をみて、そのあとに山極寿一先生が出ているアカデミアをみて、で、今日ETVの「戦禍に言葉を編む」をみていた。ローティの解説と山極先生が途中でまったく同じことを言っていて、ローティ解説は、言葉が争いを生む(抽象的な話ではなく、言語の違いや、自陣営外の人間を蔑称で呼ぶこと)→共感の力を使い、文学を通してわれわれを拡張せよ、という順で、山極先生の方は、共感することによってコミニティが作られた→言葉が争いを生む→言葉ではなく、身体コミュニケーションを深めよというざっくりとした順があった。山極先生のやつは「動物たちは何をしゃべっているのか?」でもしていた話。で、「戦禍に言葉を編む」で途中印象的だったのが、「ココア」という詩を書いた人の話で、その人は普段難しい本を一生懸命に読んでいたけど、戦禍ではその中で振る舞おうとした「ココア」や「マドレーヌ」などの小さなものが人を幸せにする愛の言葉になったと語っていた。シンプルな言葉が心をひとつにしてくれると。で、ローティの話に戻ると、戦禍だと人は言葉を発しなくなるみたいなとこも(たしか)あって、シンプルな言葉が必要になるという「ココア」の人の話が頭に入ってきた。「戦禍に〜」に出てたキャンベルさんが最後に、言葉もシェルターになると話していたのをメモした(それ以前に、強い言葉で書かれたポスターが町中に貼ってある様子があった)。「ろうそく」が、「地下室」が、戦禍では意味を変えてしまうという、編者による話があった。

カテゴリー