盲腸の静かな夕べ

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2023-11-10

(コロナ禍にはまとめてアマゾンで買っていた)マスクが必要な場面が時折出てきてはマスクをその度に出先で買ってしまって、中途半端な数種のマスクがどんどん増えている。
今、濱口竜介の講義回(ことばの学校の)を少しみはじめている。原節子の「晩春」における語尾について。それとは関係するような関係しないような感じなのだが、年をとってきたら妙に女言葉を会話のはしばしで使うように私はなってきていて、それはなんらかのポーズ、というかじゃれあいの一種だとは思うのだが、はっきりと演技というわけでもない。そういえば永田敬介は絶望ラジオで「」でくくられたような言葉を「〜だわ」とよく言っていてそれがわりと好きなのだが、それは丁寧というか相手への気遣いや距離、みたいなニュアンスがある気がする。ラジオといえば、ソーシキ博士が一時的にスタンドfmでラジオをはじめだしていて、笑いながらきいている。12月に本が出るらしいので買いましょう。
ちょっと「tele-」収録の作品とか読んだりしていて間が空いてしまったがことばとを読み進めていて、「おとむらいに誘われて」も読み、選考座談会も読んだ。「おとむらい〜」は一文ごとに新しい言葉の使い方をありがとうという気持ちで読み、そして、その日の、思い出の話であるのに、それを忘れてしまう日のこと、人一人について覚えていられることに思いを馳せてキュッとなったりしていたら、選考会ではいろいろ指摘されていて、うおお、と気が引き締まった。私はかなり「フルトラッキング〜」にやられているところもあり、「tele- 3」に収録されている作品に、いいなと思うものが多いのもあり、書かなきゃという変な焦りが出てきてしまっていたが、選考座談会読んで、結局は肩を強くしろということと、公募とかいう以前に、ちゃんと自分が書きたいことや書かれてしまうことを持っていこうという気持ちになれた。朝一番に例の謎の基準で選ばれた洋楽を翻訳しているサイトをのぞいていて(毎日更新なのがありがたい)、そこで結構好きな言葉が並んでいたりして、好きという感覚はちゃんとあるなーと確認できている。歌詞のやばさに慄くことが多い。
そんでteleに入っている石倉さんの「石の魚」もちょぼちょぼ読み進めている。古典みたいで、全然しらない文体で読むのに時間がかかる(これはdisりではなく、そういうタイプのものだっていうだけの話)。写真が出てきたあたりまで読んで、この辺はほっこりエピソードだしふふふとやや微笑みながら読める。とにかく1ページ毎にアッラーについて書かれているようなものは読んだことがなかったのだが、アラブ圏の世界をここまで書き起こすというのは母国を離れるようなことで、こんな文章筋力移動みたいなことがあるんだな、すごい、と思っている。

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