盲腸の静かな夕べ

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『マリグナント 狂暴な悪夢』について :ホラーの居心地の悪さ

『マリグナント 狂暴な悪夢』を観た感想です。未見の方向けではありません。










(以下本文です)

 新たなホラーアイコンの誕生を盛大に祝いたくなる『マリグナント 狂暴な悪夢(Malignant)』、本作を多くの人がそうしたように、筆者も大喜びで鑑賞した。話題に上りがちな天井ぶち抜きをはじめ、映画でこれができる / 映画ならこれができる、という力技と発見の数々に大興奮した。

 しばらくして、手放しにこれが最高の映画であると言い切ってよかったのかと不安になった。そう考え始めたのは、ひとえにNetflixドラマ『呪怨 呪いの家』(2020)の鑑賞を経たからだ。このドラマをも非常に楽しんだ筆者であったが(なにせ筆者にとって呪怨のオリジナルビデオ版がもっとも怖いホラー映画であり、同シリーズはちょっと特別な存在だ)、知人は凝り固まったミソジニーに憤慨していた。対して筆者は無知であり、その場では知人への同意も、作品の擁護もできなかった。それにはがゆさを覚えたことを、『マリグナント』をきっかけに思い出した。
  『マリグナント』は、ホラー版アナ雪と言ってもおかしくないだろう優等生的なシスターフッドへと見事に着地するが、その正しさのそばで、女性のレイプ被害やDV被害が恐怖のはじまりとして配置されている。ホラー映画のみならずよく見かけるこれらの設定は、それがあるからといってミソジニーなわけではない。ただ、筆者の中では是非がいつもおぼつかない。先にあげたドラマとは違い、『マリグナント』についてミソジニーだという指摘はまったく見かけない中、個人的にはこのホラーにまつわる居心地の悪さを消化できていないので、掘り下げたいと思う。『呪怨 呪いの家』についてまとめられた宮本法明氏の記事(全3回)を参考に、考えはじめた。

 まず、マディソンの母親が被害を受けたレイプについて。これに関してはとても奇妙なことが起こっていると感じた。映画内で実際にレイプシーンが描かれることはない。それによって、「レイプ」は言葉としてのみ、かなり情報的に伝わってきたのだ。いくらでも恐怖演出ができそうなレイプシーンや出産シーン、加えて悲痛だったであろうマディソンの母の苦悩、きわめつけは加害者その人、それらが軒並み描かれない。さらに、マディソンの母自体は人気ツアーガイドとしての生活をまっとうしており、ある程度精神的にケアされていそうでもある。被害に関しては、過ぎ去ったものという扱いだ。
 マディソンの母は主軸ではない、という言い方をしてしまえば元も子もないのだが、それにしてもガブリエルの誕生に関しては省略が激しい。マディソンの母は人物像さえ不明確なままで、それゆえにガブリエルを産み落としたことのまつわる彼女の不気味さ、気持ち悪さ、それらを一切感じさせない。
 この「描かない」という方法は、少女の悲痛な境遇に快楽としての不快を覚えないようにする、ある種の配慮ではないかと感じる。妊娠ホラーの傑作、『ザ・ブルード/怒りのメタファー』(1979)における出産(?)シーンの必要以上のグロテスクさと比較すると、深淵とつながる者としての、または子供の支配者としての母、そんな「女」の描写は本作には登場しない。または、『悪魔の赤ちゃん』(1974)に存在する、強烈な母性でもって子を愛する母という像もない。

 マディソンのDV被害についてはどうだろうか。マディソンのDV夫は開幕まもなくガブリエル(が司ったマディソンの身体)によって殺される。ねじ曲がった復讐行為が行われた後、マディソンは子供を失い、彼女はまた被害者となる(ガブリエルの復活がDVの暴力によるものだというところは巧妙だ。復活に関して、彼女がむやみに責任を負わされることはない)。
 被害者マディソンの身体には、暴力を振るうガブリエルと間接的に被害にあうマディソンが同居する。状態を複雑にするのは、ガブリエルの動機である。彼はほとんど常に加害者であるが、そもそもは母親に捨てられた息子で、医師たちによって殺された存在であった。彼自身は復讐を目的に生きている。被害が転じて加害になる、ないまぜの状態だ。マディソンは、そんな男を身体の一部としている。彼女も、妹や夫に危害を加えるきっかけとなり、ただの被害者ではいられない(ガブリエルの造形に関しても、あれはガブリエル単体だから恐ろしいのではなく、身体が逆だから、背後にマディソンの顔がついているから最恐なのである。マディソンは怪物の造形にとって必要不可欠だ。ガブリエルの要素がマディソンにとって身体の一部なように)。
 己の身体にある加害性をマディソンが自覚したのが最後の場面ではないだろうか。客観的にガブリエルの殺害行為を見るしかなかったマディソンは、(子供を殺された)復讐心に燃えて、はじめて「自分とガブリエルの」身体を通して世界を見る。
 かくしてガブリエルへ復讐し、そしてこれはいささか深読みがすぎるが……自らの身体を認めることによりDV夫へのかつての復讐も完了しているとみたい。シスターフッドの横で、マディソンはきっちりとリヴェンジを果たしているようにとれるのだ。

 『マリグナント』のいいところは、終盤のガブリエル大暴れのところに爽快さや愉快さを感じるところである。ガブリエル/マディソン双方の軽やかな復讐は観ていて元気をもらえる。特に本作は一貫して女性を必要以上に悲惨で「呪われた」状況におかず、主体性を持ったただひとりの人物として扱っていた。この態度はまた誰かをエンパワメントしていくだろう。
 女性の被害に関して考えていたら、結果この映画のいいところに目がつきはじめた。この読みが正しいかも疑いつつ、とりあえずはまだ一度しか観られていないので、再度どこかで目にすることを楽しみにしている。

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