盲腸の静かな夕べ

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日記

 タカラマハヤのソロライブ「people in the dark room」の予約をしていたのは覚えていたが、今日が12/5だなんて思っていなかった。日付の感覚がない。昨日ギリギリ思い当たってよかった。
 そんな感じであるから、当然仕事は終わっていなかった。午前中にみっちりやって(順調だった)、支度。15:00に横須賀の飯島商店に行けばよいから、その2時間くらい前に家を出た。 16:45くらいに会場に着いて、少し早かったが中に入ることにした。入り口は無人で、2階に受付があると書いてあったが上にも誰もいなかった。和室の中央に鉄琴があり、その周辺をお椀型の金属の楽器が囲っていた。
 入り口に置いてあった紙(くっついていて2枚とってしまった)には、イントロダクション的な文と、このライブのルールが書いてあった。暗闇の中で杖を持ち、演奏者に触れないようにする。なるべく立つこと。歩いてよいとのこと。
 観客は私ひとりだった。観客ひとり限定ライブ。緊張した。やってきた演奏者に杖(棒)をもらい、明かりを消してもらったらスタート。
 少し沈黙。こちらからのアクションを待っているのではないかという邪推から(本当に邪推)少し動いた。最初の音がなんだったかは覚えていない。あのお椀型の楽器を叩いた音だったと思う。
 しばらくは淡々とした、点々とした音が続く。暗闇では部屋の大きさがわからなくなる。壁に手を這わしたり、棒で叩くことで自分の位置を把握した。このあたりは音を聞いているようで、あまり聞けていなかったような気がする。演奏者の位置を把握しようという意味では聞いていた、そのくらいだった。自分がどこにいれば良いか、ということに気を取られる。
 途中、私の動きに合わせて近づいてきてはいないかと焦る場面もあった。もちろん、演奏者は私に向けて演奏をしているわけで、追いかけるなんてゲームはやっていないだろうが、「触れてはいけない」を課せられた私は必要以上に逃げたり、気配を消そうとした。少しの間演奏者は驚異だった。お椀の演奏は主にスティックによって行われており(見ていないけど、多分)、演奏者が手を伸ばせば思ったより遠くのものが叩ける。つまり、音が鳴る範囲はかなり広かった。それによって演奏者の位置がわかりづらい。時間が経つにつれて、私はぼんやりとした、演奏者のいる範囲に対して距離をつめる。近くで聴きたいと思い始めたからだ。
 手に持つ棒が楽器に当たる。一度演奏者のスティックにも当たってしまった。演奏の振動が足から伝わり、そのことに小さな感動を覚える。
 演奏者の姿を想像する。途中で弦楽器がなりはじめ、その楽器の音の鳴り方をぐるりとまわりながらきく。なんの楽器を、どのように構えているのだろう。一心に演奏者の音と気配からカタチを思い描きながら、演奏者がこちらを気にかけているのがわかる。愛しい時間だと思った。
 後から思ったのは、少し遠く離れてじっくりと聴くのもよかったのでは、ということだ。やたらとアグレッシブに動いてしまった。ただ、遠く離れていると、少し寂しく感じてしまうのだ。
 帰り際に今日の演奏が録音されたテープを購入した。カセットテープを再生する機器がないので、聴くタイミングがいつになるかはわからない。
 胃が悪いので帰りにうどんを買う。

 と、ここまで書いて今はその翌日である。仕事がなかなかの量だった。
 ソロライブでは音楽をきいていたはずなのに、結局自分の立ち位置や、相手との関係に終始してしまっていて、いつもの自分のコミュニケーションの延長がまざまざとあったように感じる。少し恥ずかしい。距離をおくことに気づけてはいるので、あと20分くらい演奏があればもっと違ったかたちの鑑賞があったのだろう。
 たったひとりの観客に向けたあの時間に、感覚がわきたって思い出すと涙が少し出る。姿は見えなくても、相手のことを理解していなくても、「ここにいる」ということが真実としてかたく共有されている。

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