日記 『オールド』やっとみた
M・ナイト・シャマラン監督の『オールド』、ずっとみたかったのだがいろいろな都合で後回しになっていた。というか、東京はずっと緊急事態宣言中で、たしか公開した時あたりの感染者数が結構すごくて、知り合いの知り合いが感染したらしい、という話もちらほらと聞いているような時期だった。なので、映画館ですら避けて、なるべく家にずっといたのだった(でも『ドライブ・マイ・カー』はみにいってるんだけど)。長めにやっていてくれてありがたい。そして今日は平日、なおかつ台風、ということもあるのかガラガラだった。カップルが数組いたように思う。
『オールド』はカメラが印象的というか不思議で、ほとんどのシーンがバストショットだったんじゃないかと錯覚するし、実際そうだったのかもしれない。せわしなく動くカメラもパニック状態で、みたい箇所をあまり映してくれない。それによるストレスがビーチの閉塞感にマッチしていたと思う。いいなと思ったのは、美(若さ)に執着するクリスタルが若い頃の思い出をマドックスに語るところ。至近距離で映されたクリスタルの顔の上に皺が刻まれ、化粧はとける。まだ元気そうなのにもうこれは死に際なのだと感じた。実際に彼女が死ぬシーンはいろいろあれだったけどインパクトはよかったよ。グッバイ……。
未来をみすえるガイと過去に重きをおくプリスカ、という設定は構図構図しすぎているのだけど、未来と過去が重なる「今」を受け入れた時、二人は満ち足りるんや……みたいなシーンは、やっぱりちょっとよかった。何十年も共に生きた積み重ねがあったように思い込んでしまったし、プリスカが海に向かうところとか、やりすぎ感で嫌いな人もいるだろうけど、胸がキュッとなった。海自体は悪い場所ではないんだよな。
全体的には、では果たしてこの映画の怖さとは、「老い」なのか? という疑問があって、それというのもやはり一番グロテスクに感じたのがカーラの妊娠の一抹だからだ。あの怖さというのは、たった6歳の少年とそれ以下の少女が性行為をしたということへの抵抗感で、急激な肉体成長のいびつさに原因があると思う。だから「人生は短いんだ!」とか伝えられても、長さとかではなくそもそも時間が抜け落ちてしまったことに罪があり、ひいてはやはりこの謎ビーチが悪いだけ、という印象が拭えない。一日で50年を経験するのではなく、一日で老いて死ぬ、その違いが決定的というか。
この箇所については、原作小説だと「セックスを知らずに死にたくない」という内容だったらしく、確かにその経験に対する渇望は共感できるなと思った。こっちの路線で撮ってみて欲しかったなと思う。(参考:Virtual Gorilla+)
コロナ禍の風刺うんぬんというたくさんある解説は、まあそうかもなーと思いつつ、私にはあまり実感として響かなかった。ただその妊娠のエピソード(失われた経験)を踏まえて考えると、小学生〜大学生にとってのコロナ禍は、私とはまったく違った経験としてあるのだろうとようやく思い当たる。
アレックス・ウルフのインタビューが面白かった。(Real Sound映画部)
実は今日映画館にはギリギリにたどり着いていて、それは丸ノ内線の人身事故が原因だった。ホームドアが設置されているこの路線での人身事故は十数年ぶりだ、というツイートをみかける。それが真実かは知らないが、なぜこのタイミングで起こったのか、いろいろな余波を受けた人なのか、無駄な想像で少し暗くなる。