日記:プールサイド
4月14日(金)
村上春樹の新作が出ているタイミングで海辺のカフカを読んで(オーディブルで読んで)いると、すごく周回遅れ感がある。上巻を聴き終わった。最後のほうで「海辺のカフカ」の歌詞内容が書かれていて、マキタスポーツが昔ラジオで歌っていた曲を思い出した。マキタスポーツが、何も感じない曲書いたんだよ、って披露した曲を聞いた片桐仁が、いやでもプールサイドに点々とものが置いてある感じがしました……みたいな感想を言っていて、なんだか腑に落ちる感想だなと思っていたのをよく覚えている。海辺のカフカの歌詞もなんかそんな印象を抱いた。
こんな感じで何か作品を読んだり聞いたり見たりすると昔の記憶が刺激されてしまって、わりとそれを肯定的に書いたりすることもあったが、昨日読んでいた「中二階」の五章のくだりがよくて、このマインドの方がいいな、と思った。思い出しを禁ずるものではないけど。少し引用する。
「そうだ、この ”私は子供の頃○○だった” 的ノスタルジーというやつは曲者だ。こいつは私が一個の成人として真面目に受け止めようとしている物事を、何か湿っぽく、曖昧で、変に特別なものに仕立て上げてしまう。どうして子供の頃に発見して、大人になった今でも充分に通用する楽しみや喜びを享受するのに、いちいちノスタルジーを総動員して正当化しなければならないのだろう?」