日記
8月27日
昨日書いた日記に書こうかなとぼんやり考えて書いていなかったこと・カンバセイションピースの入眠幻覚のくだりの中で、以下のようなセリフがある。「人間は音だけの記憶を持てないから、映像を借りてきて、視覚付きの記憶にして保存するってことだよ」
まさにHさんの名前を思い出そうとするプロセス(映像を思い出して、その人が発していた言葉を思い起こす)と合致していて、あまりにぴったりだったので驚いた。
午前中は皮膚科に行く。ネット予約が主流だったようで、少し待つ。ネット予約の存在は知っていたのだが、またこういうのに登録しなくちゃらならないのかーと思い、朝イチで行けば別に大丈夫でしょ、という考えのもと予約なしでそのまま行った。開始時間ジャストに行ったらすでに待合にはそこそこの人がいて、アーリーパークインみたいなことがあるのかい?と思った。次回は予約しよう。すぐ適切を見失う。
夜中、Qのフィルムインフェルノがプレミア公開されたのでもちろん観た。映像に走るノイズは、ビデオの物理的な状況(捨て置かれた・長い期間が過ぎた)の表現方法だ。その捨て置かれた時間みたいなものがぎゅっと折り畳まれて現れてくるので、呪いのビデオ感がすごい。洞窟でアイーダが流れてくる、そして止まるの怖かったな。もちろんオチも。面白かった。洞窟序盤で男性が「撮ってれば大丈夫だから」と言っていたように聞こえたのだが、なんだったんだろう。ホラーにおいては撮影行為はフラグでしかない。
境界カメラの時もそうだけど、結局「見られている」という状況が、写真においても映像においても、現実においても確実に怖いというところがあり(女性の登場人物の顔が、海の場面で一瞬視聴者をみる形でフリーズしたというのもあったな)、こっちが見ている側にまわれば大丈夫的なことだったのだろうか。