盲腸の静かな夕べ

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2024-1-27

10:30に高尾山口駅集合の予定だったがOが寝坊したというので集合を30分遅らせる。30分後に家を出ると財布を忘れていたことに気がつき一度家に戻る。ギリギリ時間には間に合うだろうと思っていたが、電車に乗る方向を間違えて結局予定より30分遅れる。Oも乗り遅れて15分遅れ。Aもなぜか30分遅れ(セックスアンドザシティをみていたとのちに判明する)、で、11:30に集まった。
ケーブルカーを使おうかと思っていたが、行きは使わないことが過去にあったという話を誰かがして、行きは歩きで山頂まで、帰りはケーブルカーを使うということになった。あたたかく平べったい餅のようなもの(桑の葉が入っている)を食べてから登り始める。
ほとんどコンクリートの坂だが結構急で大変。暑い。カジュアルめな服で来たが、山の装備を整えるのは体温調節が容易というところもあるのだなと思った。帰りはちょうどいい気温だった。
映画の話などをしながら登る。途中だんごなどが売っていて惹かれるが飯前だったり、Aがあまり空腹じゃないとかで見送った。
途中でサル園があり、入った。猿山は見どころが多い。忙しなくいろんなことを猿がしている。一階は猿たちがいる場と同じ高さで、間近でガラス越しに猿たちが見られる。目の前のガラスに寄りかかる猿がいる。2階(屋上)に上がると餌がささやかに売っていて、猿山に投げ込めるようになっている。飼育員さんがいて、いろいろと教えてくれた。今のボスザルは29歳で、人間で言うと90近いのだそうだ。慕われていて、毛繕いされまくるから背中がはげている。そのボスザルは強いとかではなくとにかく優しいから慕われていて、実際歩きはもうよたよたしていて(白内障で片目がほぼ見えていないそう)、強い感じはしない。おじいちゃん感があった。
飼育員さんは上から見て猿の見分けがつくようだった。
1:30が近づくと、猿たちはおやつの時間を察知して、鳴き始める。一匹が鳴くと呼応してみんなギャーギャーいう。
山頂につくまでに寺があり、おみくじをひいたりかりんとうを買ったりした。今年の目標ややりたいことの話をした。健康を祈った。
途中、どうもタイっぽい意匠の仏舎利があり、その周囲にたくさん説教が書かれていてひとつひとつ読み上げながらぐるっとまわった。ひとつに「不悪口 乱暴なことばを使わない」というものがあり、読み方は「ふあっく」。「ふあっく……」「ファ……?」「ファ……??」と口ぐちに言ってくだらなく笑った。
山頂では景色をみてから昼食。14:30ごろ。とろろそば。山菜入りで、おにぎりもつけた。満腹。その後甘酒を飲む。かつて好きだったことはないが、なんとなく飲んでみた。美味しいような気がした。Aはなめこ汁、Oはたまこんにゃくをそれぞれ買った。座って何かと話した。なめこ汁はAにとっての高尾山の思い出のようだった。
帰りは4号路を行こうとしたが、工事か何かで行けなくなっていた。3号路をいくことにする。少し道が分かりづらいからか、他には全然人がいなかった。こちらは行きに登った1号路よりははるかに山道といった感じで、トレッキングシューズにすべきだったな、と思った。スニーカーで登れる山などと言われているが、1号路を行く場合以外はトレッキングがいいだろうと思う。あんがい嵩張るので、私は悩んだ末にスニーカーを履いてきてしまっった。
降りながら遭難の話をOに聞く。山岳遭難ファイルというyoutubeチャンネルを教えてもらう。
結構疲れて下山。満員のケーブルカーで高尾山口まで戻る。本当はリフトに一人ずつ乗って孤独を味わいながら帰ろうと話していたが、もう閉まっていた(孤独、に関してAがセックスアンドザシティを引き合いに出して話していた)。あたりの店ももう閉まっている。
プリクラをとって、温泉につかって帰る。
昨日は半日つかってNIIKEIの校正をしていたのだが、自分の文章の日本語がかなり崩壊気味で、なんでこんな変なことになっているのに気がつかないんだろうと頭を抱えた。それなりにショックだった。それを引きずりながら、まだショックの中にうっすらといるけれど、そういえばクィアアイ最新シーズンでも「傷はすぐに癒えるものでない」とか言いきってたなとか思い出している。
疲れている。2万歩くらい歩いた。

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