盲腸の静かな夕べ

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日記:おいしいご飯

7月11日(火)
徐々に食べる量が戻ってきている。腸の動く様子を注意深く感じている。しばらくはまだ食事つらいだろうなと思って買ったウィダー(24個パック)ははたして全て消費できるのか(今日は食べていない)。ウィダーは今若者にはインゼリーと呼ばれているのだろうか。
昨日から筋トレを弱々と再開した。消化器官に影響がでないよう願う。
昨日寝しなに読んでいた「日記をつづるということ」の戦前、戦後パートがかなりドキドキする内容だった。45年8月15日の日記を集めた、という話があって、その日記には「泣いた」「涙」に関する言葉がたくさん出てきているのだという。ただ、その表現が紋切り型であると筆者は気が付く。また、「渙発」という常用されているとは言い難い表現も出てくる。この「渙発」という言葉は玉音放送を予告した臨時ニュースで使用された語らしい。そこからこの言葉が頻出されるに至った可能性があるという。そして、15日の午後配達された新聞には泣き崩れる女子挺身隊員の写真や、泣く少年の写真が用いられ、キャプションには「涙」の文字が多い。その日の日記は新聞記事に影響され、「涙」の記述が増幅していた線が考えられるのだ。加えてその新聞記事は玉音放送の事前に用意されていた可能性があった。「涙による集団カタルシスもまた、あらかじめしくまれたとしたら、そして個々人の日記がそれをなぞるものであるとするなら、メディアの政治は成功していたことになる。」
このあたりの調査痺れる。
日記本が長すぎてそれに囚われているが、ごはんをおいしく食べたいなと思っている今、積んでいる「おいしいごはんが食べられますように」を読むべきかもしれない。

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