日記:風
4月27日(木)
昨日調べたら結局陽性で、ただ症状がかなり軽いため助かっている(友人に「あかん!陽性や!」とQ風にLINEをして気づかれず)。喉の痛みはもうほとんどなし。咳がたまに出る。今日は鼻水がよく出る感じ。
「やみ窓」を途中まで読んだ。言葉の通じなさ故に異界の者へ単語を投げかけることになり、それがいわゆる「カミサマ風」に聞こえてしまうという仕組みがすごくいいなと思った。
「面とはどんなアトリエか」のアーカイブを2時間くらいのとこまでやっとみて(一日30分ずつくらいで刻んでみている)、わからないところはとても多いがとりあえず先に進んでいる。
保坂和志の本を読んでいると、確かにオンオフのダッキングの繰り返しがあるというか、「カンバセイション〜」読んでいた時はがっつり読む/数分だけ/数行だけというように読む時間やタイミングがバラバラだった(あの長さがあるから)。
パーソナリティ消費の話の、仕事と余暇時間の境目が曖昧になった、ということを経由すると、こういう言い方はされていなかったけど、結局は余暇時間というものがなくなってきていて、余暇時間「的」なものが発生していて、どうやってもオンオフしてる「風」になっている、という状況があると言えるのかもしれない。
「風」の枠組みに回収されないで、作品分析をする中(これは作品を見たり、読んだり、という場合にも当てはまる)で変化する自分の体に生を感じる。そういう、生身に感動を取り戻す(この少し恥ずかしい言い方でいいのか謎)のが「ゴダール的方法」以降の話なのかもしれない。
ただ保坂和志の作品でもそういう読み方は可能なので、それは書き手のスタンス/変幻自在の読み手のスタンスという違いなのかもしれない。
明日以降も続きをみる。
超高解像度分析の話でよく思い出すのが、「0.03フレームの女」という世にも奇妙な物語(今調べたら2013年、思ったより前だ)で、映像編集していたら0.03フレームにだけ女がはさみこまれていて、そいつを消そうとして怪異が起こるっていう話。世にも〜は毎回みているわけではないけど、これは印象に残っている。