盲腸の静かな夕べ

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2024-11-10

「ナミビアの砂漠」をようやく見て、アンチセルフケア、アンチ自己責任映画だと思う、ファーストカットの場所に見覚えがありすぎる。緻密な映画だ。金子大地、こんな役者になっているのか。鮮烈な音楽は渡邊琢磨で、翌日みた「Cloud」も渡邊さん。cloudは楽しすぎてやっとOやMちゃんに話す。銃の入手経路については松重豊ひとり出しておけば、それ以外になんの情報もいらないのである……。佐野役の方をまた黒沢清映画でみたいと思った。Oが言っていたように(作中でもいわれたように)ほとんど「ゲーム」で、沸くように身を隠す岩壁が生まれる。Nは、菅田将暉(吉井)が人間性を手に入れる映画だねと言っていた。そうかも。
BFC6を読んでいて、雑談欲が高まり、今度話そうと取り付ける。
BFC6で好きな作品多いがジャッジが出てまたそれが変動するかもしれない。
圧倒的にツボだなと思うのが「みっちゃん」で、すんなり好きと思うのが「誰も愛さなかったから」「深く暗い森のなかにあらわれては消える湖があった それはわたしの湖だった」で、「不審な刃物」は、素人でも感じられる玄人感、というか、大御所の短編小説といった風格を感じる。大御所感があるのは、いがらしみきおの大仏が動くマンガとか、小松左京の家が追いかけてくる話とかを連想するせいかもしれないが、それにしても体感的に、上手い、のではないか(偉そうに……)。いろんな人が好きだろうな。ポジティブな意味で非常に気になるのが「あそこで鳩が燃えています」「遅かれ早かれ」「棄子」で、このあたりは謎が多いのだけれど、これから自分が小説を書いていく上でも、こういった謎の扱いをどうしていくかというのが気になっていて、これに対する読み解き、の姿勢がただの答え合わせにならないように、どうやって読むかというのが試されている感じがする。「遅かれ早かれ」は文章の中にある主張というか現実(例えば「ぼくが幽霊であってもおかしくない」とか「五分前にできた世界の〜」とか)以外の部分の、人の呼び方や名称の使い方がとても気になる。特徴をして人を呼ぶ。
Mーちゃん、数年に一回会うのだが、今回はバスケの試合観戦に誘ってもらった(直接ではないが、O経由)。巨体がバスケコートに並んでいるだけでかなり衝撃だった。はやい、とかは本当に単純に声を出して驚いてしまうけれど、あの動き方はなんなのか、というのを思うとき、自分だったら動けるのか(絶対無理)、一度投影を挟んで見てみるという回りくどいやり方になる。
Bリーグの専用アプリでは、選手のコレクターズカードが集められる。
筋肉に関する考えを笑われる。

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