日記:移動
8月20日(日)
カテゴリアイコン表示がバグってるのはそのうち直す。何が起きたんだ……
土曜日にややショックなできごとがあったりしたのだけれど、わりと回復ははやい(夜に友達とグレイモヤみにいったときは引きずっていた。お笑いは面白かった。yes!アキトがただただ一発ギャグをやっていて、その意味の圧縮にちょっと感動さえしていた。もはや圧縮率に笑っている)。
ことばの学校で一緒だったNさんのコレクティブが企画した展示に行く。「Screening Dialogue in Asia」、キム・ウジンさんとキム・インスクさんの映像作品をみた。映像作品をみてからトーク、という流れで、作品を見ながら考えていたことが、話を聞いている中でだんだんとつながりを見せていく。映像展示って普段流し見しがちなので、こういうしっかり時間をとるものはとてもいいと思った。
移動しながら作品づくりをしていくという話題から広がり、ウジンさんが、強制的な人の移動(移民問題、人口集中)についても話したいと話題の軸を持っていって、その中でインスクさんが言っていた、移動しても人と人の間に残るものがあってそれについて作品を作っている(あまり正確じゃないかもしれないけど、そんなことを言っていた)、という言葉が自分の中でこの日のキーになった。残るものを組み上げていく、つくり上げていくインスクさんと、消滅や破壊のイメージが印象的だったウジンさんの作品が対照的に見えて、これがキュレーションの力か〜〜みたいなことを思った。
ウジンさんの作品はとても好みで、消滅や破壊だけでなく、たとえばいろんな時間軸で崩れたジェンガのピースが全て同一画面にあるイメージや、インターネットのイメージの中で潰れてしまった家屋の痕跡だったり、消えゆく言語のその先が示唆されているような感じもあった。《memories project part1》での、歴史の中で使用言語がぷつぷつと途切れて完全に別々のものとして説明が可能なことが、自分にはない感覚だなと思う。何の言語だったか忘れたけど、遊びの歌だけは違う言語だったみたいな思い出もグッとくる。超久しぶりに最近クーリンチェを見たのもあって、台湾周辺の人の流れが意識に上った(クーリンチェにめちゃくちゃ出てくる茶器をいろいろと検索してみているんだけどなかなか探し当てられない。あれ欲しい)。
展示にSさんがいて、少し話して、多分顔見知りになってからは10年くらい経っているけどはじめてLINEを交換した。驚くような話をしてくれた。
夜、その時はまだ落ち込みを引きずっていたので、無心で200円くらいで売ってたplanet alphaをプレイ。綺麗だなあと画面をみる。他、適当に数百円くらいのゲームを買っておく。