日記:日記
3月12日(日)
全世界公開型の日記を書いているとなんで書いてるんだ、とずっと思うことになる。自分ひとりだけ、小さなコミュニティの中、そしてこのブログ的なものそれぞれでかなり書く内容は変わる。この前下書きにいれたまま公開しなかったのは、レクチャーパフォーマンスの「オバケ東京第二章」の感想で、やっぱりそれっぽく書こうという気持ちが少し働いてしまっていた。福尾匠の日記なんか読んでいると、たびたび日記についての日記を書いていることがあって、公開型日記のかっこつけ問題や、知人のことをどこまで書くか問題があげられている。実感としてすごくよくわかる。「オバケ東京」自体は面白かった。その中で指される「オバケ」というものが死のイメージとはわかちがたいけど、あくまでも生きているものを指しているというのがよくわかった。
なんでここで日記を書いているのかというと、誰かわからない個人のブログが結構すきだというのと、あとtwitter以外のハウスを持つこと、あとは本当に目的を設定しないで、しかし公に書くのをとりあえず、とりあえずでやろうという小さな理由ばかりで書いている。
モチベ問題があるので、しばらくは自分ひとりの日記に戻してその中の公開していいやつは公開にしようかなと思うが、自分ひとりのものってこの日記よりさらに文法が崩壊しているので、そっくりそのままというわけにはいかない。
午後「モールの想像力」という展示をみにいった。ウォルトディズニーの都市計画がおもしろい。特に脈絡なく書きうつしたのは以下。「鉄道駅、空港ターミナル、船舶といった移動のシステムがモールと似ている、というのは面白い。おそらく快適な移動とは、外部を無視するということなのだろう。」「モールでみられる観葉植物の多くは熱帯地方原産のもので占められる。〜中略〜つまり、モール性気候は日照の観点から見るとジャングルに似ている。」
RRRやっとみたけどやばかった、と昨日LINEしたら友人が今日みていた。「大体スローモーションだった」といっていて、確かにと思った。
最近スピリットフェアラーをやっている。ゲームという、強制的に人との会話が発生するシステムの中のテキストってかなり特殊で、この作品や、ナイトインザウッズはかなり好きなのだが、どういう特殊性なのかはまだあまりわかっていない。日本と海外(翻訳物)でだいぶ違うと思うけど。もうちょっと今年はいろいろやってみたい。
このゲームは人との別れをテーマにしていて、人と関わったことでの後悔も十分に表現されているところが辛いし、いいところだと思う。