盲腸の静かな夕べ

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日記:粉

2月12日(日)

先週、リンゴの木箱を2つゆずりうけた。今持っているTV台(これも人にもらったものだ)を処分して、代わりに使うつもりだ。木箱は粗くつくってあるので、表面に何の加工もされていない。とりあえずやすりで削る作業を、昨日と今日、一時間ずつくらいしている。結構つかれる。夕方くらいになると、やすりの余波がすごくて、登山したあとみたいな疲れがくる。
ベランダで雑に擦っているのだが、わりとおかまいなしに木の粉を浴びていた。メガネとマスクとキャップは一応していた。
昼、沿線に引越してきた友人とご飯を食べにいった。あと雑貨など買い出し。歯ブラシを浮かして収納するやつが欲しかった。肩にかけていた合皮のバッグの持ち手のところがかなり劣化していたらしく、トイレの鏡でふと自分をみたら両肩が粉まみれになっていた。布のカス?みたいなものがついている。カバンはものすごく気に入っていたわけでもないが、だからといってなくなると困るようなカバンだ。補修するほどの値段でもないし、買い替えるのだが、また探さなきゃなーと、やや面倒に思う。
「君たちはしかし再び来い」は昨日読み終わって、なんだかよくわからなかったのだけど、本は2回読むとしっくりくる時があるので、またの機会を待ちたいが、大体読み返さない。みっつめの話の「グレイス」がすごくよく感じたのはなんだったんだろう。読む時の自分の状態が結構関わりそうな本だなととは思う。文が、baba is you みたいな組み替え可能性の中に常にいるような感じもあるけど、そういう透明感のある構図にあてはめて考えるのも違う。
カフェインを絶ったり、体がガラリと変わるところはすごく身に覚えがある。一昨年の、こちらは特に命に別状のなかった手術を思い出す。あれもコロナ禍だった。全身麻酔から一度起こされた時、身内がそばにいないとダメらしく、母がいてくれたのだが、私は母に麻酔中に見た夢の話をしたはずだった。

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