日記:クィア・アイを連日見ているのに性格が暗い
9月16日
柿内正午さんがNOPEについて日記に書いていて(零貨店アカミミ)、馬と猿の名前があんなにも強調されていたのはこのあたりが理由だったのかあといまさら思った。「OLD」も撮影者と被撮影者の話でもあるけど、その構図ばかりみていてもやっぱりだめな気がする。
なんとなくしまりのない日記(日記にしまりはいらないけど)を続けることに飽きてきて、副題をつけてみた。クィア・アイのブラジル編を面白くみている。しかし今の自分の生活の、足りてはいるけれども惨めな気持ちに拍車がかかった気持ちは特に変わらない。ずっと暗い。文章を書くのには時間がかかり、その間すごく焦っている気がする。
クィア・アイ、2話のシングルファーザーの、妻が亡くなってから、いい時の感情と悪い時の感情の振り幅がどんどん広がっている気がする、というような表現が印象に残る。
気持ちが落ちている時はとにかく意味なくネットサーフィンしてしまう(そして後悔する)中高生マインドを未だ持っているので、それをとめるために映画をみる。ありがとう映画。「プラットフォーム」というやつをみた。ジャンケットバンクを漫画アプリで読んでたら、そこのコメント欄に誰かが書いていたものだ。
暗くていい映画だった。やっぱり暗い話や絶望の話のほうが水があっている。話は寓話的なもので、現実味よりはその設定を楽しむものだったけど、ビジュアルが単純であればあるほど、社会構造をこう視覚化しました!という作り手側の潔さを感じて好きになってしまう。セリフも洒落てていいんではないか。
リングフィット完走。もうちょっと自己肯定感上がってくれ!と思ったがやはりそれにはまだ筋肉量が足りていないようだ……。