日記
8月31日
Jホラーの現在、リンジー・ネルソンの『劇場版 零』のやつを読んだ。まず、零が映画化していたの知らなかった……。ハプティック・ビジュアリティという言葉も初めて知った。
この映画は緻密な音響と大写しを活用したアンビエント・ホラーであり、観客はその世界に共感するのではなく、ハプティック・ビジュアリティ(目を触覚を有する器官として機能させる)を通して相互依存関係を結ぶ。そして形成された世界である「女子だけの世界」がもうすぐ終わってしまうことがホラーとして表現される、とのこと。
時々触れられるジェンダー論が面白く思えた。というか、ジェンダー的にみると、Jホラーの歴史はミソジニーとの密接な関係にある、というのが国内での見方の潮流だと思っていたのだが(特にこの雑誌そのような見方前提で話されている論が多い)、リンジー・ネルソンはそれらの流れを「女性として生きていくことの難しさに触れる」と書いていて、この2つの見方は書き方の違いというだけでもあるし、だからといってリンジーがそれを肯定するかまでは書いていないけれど、なんだか随分Jホラーに対するイメージが違うなという印象を受けた。
あとは、女子だけの世界の終わり、というのはクィアの消去であるか、という議論が注釈にあって、そこでは映画で描かれる「少女」というものは定義が難しく、少女の世界、というのがクィアの世界とは断定できないみたいな主張がされてる。24年組あたりの漫画にある「少年」世界とおんなじような感じなのかなと感覚的に思う。ただあれもBL元祖とかいわれているし、どこかで区切りが付けられるものではないのだろう。