盲腸の静かな夕べ

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日記

5月22日

昨夜は面白い夢をみた。
心霊現象がおこるホテルかマンションのような建物で、調査員のような形で乗り込んだらしい私はもう死んでいた。死人の先輩みたいな知らないスキンヘッドの人がいろいろ教えてくれて、当然だけど壁も通り抜けられるよ、と茶色っぽい、閉まったドアをスルッといってみせた。
私はまだ新米死人なので通り抜けられない。それは生きている間の意識(壁を通り抜けられるはずがない!)が邪魔をしていて、できないのだと先輩は説明していた。
まずは視覚が邪魔なので、瞼を閉じる。そこから、地面に意識を集中させる。足の間隔は鈍いから、手のひらを地面に這わせ、ゆっくりと通り抜けたい壁に近づいていく。そうするといつのまにか壁にめりこんでいる。ものすごく疲れる。そんな夢。

午後はシン・ウルトラマンをみる。ウルトラマンの知識が全くと言っていいほどないが、みてみた。これは貶しているわけではなく、むしろ褒めなのだが、映画なのかなんなのかよくわからない不思議な感じだった。わりとドライな進行で、画角のやってる感はおいておいても、画面の質感のバラバラした感じとかが、ザラザラしていて、これもなんか変。そして最後も斎藤工のロボット風かつ熱い語りで締めるというつくり。なんか変なの〜という感想で、知らない割に楽しめたと思う。音楽もよい。特撮ファンっぽい人が楽しげに劇場をあとにしていたのが印象的だった。

夕方、喫茶店でコーヒーフレッシュを落として入れ物を割る。シャツとカバンにしみができる。

夜はことばとvol.5刊行イベントをみる。小島信夫の名はこの一年で嫌というほどきいたのでさすがに読もう。「私」について書き続けると、共同体のレトリックからは当然(!)外れてくるという話が面白かった。「私小説」の「わたくし」性みたいなのに考えが終始しがちだけれど、そこにある文体が公的なものなのかどうか、ということは考えたことがなかった。日記という形態についてもつながりそうな話だと今思った。日記が好きなのは私的だからということではなくて、非公的だったりするからだろうか(でも、人に見られる前提の日記はまた違う感じもするしな)とか思いつつ、家に帰ると福尾匠の日記が届いていた。これは眠れない夜に読もう。
他者の言葉に委ねないと語れない場合がある、という話も面白くて、とりあえず『当事者は嘘をつく』がとにかく名著、だということで、こちらも読みたい。

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