盲腸の静かな夕べ

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日記

5月19日

水曜日にでかめのネガティブがきて、あとは安定して暗い。その後悔しぐさまでもが気持ち悪いのに、自分のダメさを発見しては新鮮に落ち込んでいる。尻穴はほぼ癒えている(たぶん)。
真剣に生きていない、という感覚がずっとあって、だから『ブラックボックス』のサクマの「ちゃんとしろ」という感覚がすごくわかる。「真剣」はあるはずで、そうじゃない自分というのを横に配置してその様子だけ眺めている。実際「真剣」ってなんだ?と思うと、職業について考えたりする。
仕事は真面目にやっているが、いかんせん一年後に同じことをやっている自信がないので、継続、ということにモチベーションがわかなくなっている。今日は2ヶ月先の出張の話をふられた。面白い仕事なのだろうとは思う。会社の人は私がこの仕事をずっと続けると思っている。

詳しくは書かないが職人的な要素がある職だと思う。しかし、気性の合わない人々に囲まれながらずっとこの仕事をすることがいいことなのか、と「真剣に」考えると、真剣に考えなくとも悪いことだろうが、と感じる。そのくらい飲み込むのが普通なのだろうか? でもどこまで飲み込んでいいのかもう基準がわからなくなっていて、胃腸も悪いのでもう少しで吐いてしまう。もう吐いてる?

6月に個人的なことがひと段落するので、おそらく会社の中でも随一のやめづらさを抱える私だが辞めようと思う。顛末がかけたらかく。

暗いことばかり書いているが、月曜日は最高だった。サンダーキャットのライブだったから。かなり遅い番号だったにもかかわらず、観客もクールなのかそこまで前におしよせておらず、クールでない私は最前ブロックの一番後ろへ。なのでどれだけ踊っても人にぶつかって迷惑かけることもないし、最高だった。
サンダーキャットはよくしゃべっていた。断片さらに1/2以下くらいしかわからなかったけれども、この2年間で亡くなったミュージシャンを悼んでグルーヴする様子に、いろんな感情がわいた。曲はノリノリなので(チックの曲)楽しい、技術はまったく理解できないレベル、演奏するという追悼方法があるのか、故人の曲を最高の状態で演奏するとは? とか、切なさから落涙、とかではなく、感情の昂りがあった。身体が動かされる音楽が一番重要と感じる(静止もダンスのうちと考えておく)。
音楽の複雑さを良いと感じられることにかろうじて救いがある。その複雑さを繰り出すミュージシャンは、どういう目を持って生きているのか想像もつかないけれど、そういう視線が存在するということがいい。複雑でいてくれてありがとうと感謝感謝。
ルイスコールのドラムは一音一音にエネルギーがこもっていて、背中をバンバンと叩いてくれるようだ。knowerの曲やってくれた時はわけのわからぬ叫び声をあげた。

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