盲腸の静かな夕べ

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日記:休暇

退社したら2週間くらい東京ではないどこかで過ごすかな、と夢想していた。実際は仕事はやめておらず、しかしかなり時間に余裕ができた。同じ場所にいることにどんどん絶望してきていたので(引っ越しは去年しているので、住む場所というわけではなく、活動エリアが問題なのだと思う)、2週間はマインド的に無理だが、ほんの少しの間、違う場所へと行くことにした。
週の頭に香山哲の『ベルリンうわの空』を読んでいて(これもどこかへ行く欲が増していた証拠だ)、そこに描いてあったある会話が印象的だった。「●●に行ったらなにする?」「とくに決めてない、ジュースとか飲むかな〜」みたいな(記憶で書いているので正確ではない)。国を跨いで移動して、ジュースでも飲むかな〜というのがいたく気に入った。どこか行くのに目的を設定しがちなのを反省し、とにかく移動を目的として動こうと、そう勇気づけられた。

向かう道中で読んだのは行き先にまつわる怪談本と、あとは伊藤比呂美の『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』。集中力がないので、眠りこけつつ、交互に読んでいた。昨晩は伊藤比呂美本人の講義を受けていて、たいへん興奮した。町田康と伊藤比呂美の対談本にあった、「自分の話を書くこと」についての話が出た。うーんと考え込んでしまったのは、「たとえば喫茶店に入った時の描写で、注文した品物のディティールについて書くことが必要かどうか」という話で(実体験だったからこそ書かれたディティール)、伊藤は「そんなのいる!?」という反応で、確かにそれはかなりどうでもいい……と同意する反面、ディティールを書くことへの執着から生まれるものもあり……と考えていた。このあたり抱いている感覚の説明が難しいのだが、実体験をそのまま書いた、という描写は確かにいらない気がする。頼んだ品物を何かのメタファーとするのはもっとダサい。ポン、と頼んだ品物についてだけ書き置くのが良くないのかもしれない。品物を書く状況にその文体を固めなければならず、そうまでして書かれた品物に、何か意味があるのか、ということが問題なのかもしれず……多分、詳細をかくのが不必要だ、というわけではない。多分。
「自分の話を書くこと」、これは基本つまらなくなる。しかしどうあっても自分から出発しなければならない。このことを考えるときに、いつも別役実のことばを思い出す。誠実であるためには沈黙するしかない、しかしそこからどう書き始めるか、みたいなやつ。日記は日記と銘打ってあるのでこうして自分の話ばかりしていてもいいかなと思う。私自身、他人の日記にはかなり興味があって、知らない人の日記を読むことも多い。
今日は夕方くらいについて、とりあえずホテル周辺を練り歩き、なんとなく地理感覚をつかもうとする。夜はカレーを食べた。店内で初期のゆらゆら帝国がかかっていて、坂本慎太郎がかかっているケースにはよく遭遇する気がするけれど、ゆら帝は意外とレアだと思った。日中読んだ本に出てきた地名をメモして、明日以降に備える。

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