日記:叫ぶ演劇のショック
母が某劇団の舞台をみたいというので、私の分を含め、チケットをとってやっていた。生でははじめてみたその劇団は、想像するより大声でセリフを叫んでいて、気圧された。
調子にのった男性キャラクターが、人をイラつかせるよう描かれる。それに憤慨した女性キャラクターは負けじと大声でわめきたてる。その場面によって、決定的に興味がそがれてしまった。あ、これ会話してないんだ、セリフをいっているんだ、と分かってしまったのだ。
今日見た舞台に出ていた役者たちは皆達者で、この芸で生きているという説得力がとてもあった。しかし、会話できているのに(セリフが声にだされているのに)、会話できていない——決まったノリがすでにあって、それをなぞっているような——状況ができているように見えた。叫び声のキャッチボールは、どちらかというとスポーツっぽい。内輪受けといってしまえば切り捨てすぎか、用意された「演劇」の舞台へ能動的に向かえなかったこちらにも落ち度はあるだろう。演劇というジャンルごと愛しているような特異な時期が私にはあったので、こんなにもメジャーな劇団に拒否反応が出るとは、(多少は可能性を感じていたが)考え方が変わったなとつくづく思う。とにかく、こんな発話なのか!とカルチャーショックを受けてしまった。
みおわった母は「あんまりだったね〜」とぼやいていた。そして観劇前の腹の足しに持ってきていたおにぎりを、渡してくれた。母と別れ、数駅しか離れていない自宅へ戻り袋をあけると、2個かと思っていたおにぎりは3個も入っていて、それになんだか笑ってしまった。今、昔は遠かった劇場が、15分ほどで着く距離になったことを何度か思い返している。